理念

ちちぶオペラの理念

ちちぶオペラ理念

「作り手も観客も市民。オペラによりマチを活性化へ!」

街の隅々まで響き渡るオペラの旋律。そこにいるのは、この街に暮らす私たち市民一人ひとり。
作り手も観客も、皆がこの街の一部であり、オペラはその心を繋ぐ架け橋です。

2017年の公演「ミカド」
そこから徐々に輪は広がっていきました。最初はほんの小さな一歩でした。一回一回の公演を開催するのも大変でした。予算を集めるだけでなく、オーケストラや美術スタッフの手配等々。でも諦めず続けていくことで、人々の笑顔が増え、温かい言葉もいただけるようになりました。そして輪はどんどん広がっていきました。

オペラの力が、人々の心に優しく触れ、ちちぶに新たな息吹をもたらしたのです。

古より祭りや伝統行事を繋いできた秩父だからこそ、このマチで育まれるオペラは、ここでしか味わえない特別な瞬間を生み出します。

作り手たちの情熱、観客の感動、そしてそのすべてが一つになり、マチ全体を包み込む。

オペラはただの娯楽ではなく、人と人、心と心を結びつける魔法のような存在なのです。

「作り手も観客も市民 オペラによりマチを活性化へ

この素晴らしい音楽を通じて、私たちのちちぶは新しい一歩を踏み出しました。

オペラの音色が、私たちの心に響き続ける限り、このちちぶは永遠に生き続けることでしょう。

“ちちぶオペラ”の始まりは「ミカド」Town Of Chichibu

元号が平成に代わる 1990 年頃のこと、「ミカド」というイギリス発祥のオペレッタは 秩父に関係があるのではないか?――と、当時のトレンドであった故永六輔さんがラジ オで投げかけたのです。それを偶然に聞きつけた秩父の好事家たちは、直ちに「秩父でミカドを上演する会」を作りました。そして運動すること 10 年余..ついに 2001 年、当時 秩父市長であった故内田全一さんの決断により市制 50 周年記念として、オペラ「ミカド」 (秩父版)が上演されたのです。

その昔、秩父は絹の町でした。“秩父絹”は秩父の山から八王子を通って横浜の港に運ば れ、遠く英国や欧州に輸出されました。イギリスのオペレッタ「ミカド」は東洋の街ティ ティプで展開される風刺劇です。ティティプという名称は、秩父絹がイギリスに届いたと きのタグに、TITIBU と書かれていたのを劇作者ギルバートがヒントにして、townn of titipu が生まれたのではないか?と「秩父でミカドを上演する会」の故塚越康一会長は考 えました。実際に塚越さんたちはイギリスまで足を運んで、それらしき巷説を調べてきた のです。

もう一人のキーマンは秩父高校で音楽の教鞭を取っていた故高波征夫先生でした。顧問であった音楽部のレベルはとても高く、ある時期はNHKの合唱コンクールにおいて、 3年連続で金賞を取るような勢いでした。音楽部所属の大勢の生徒たちは声楽家を志すな ど、髙波先生の献身的な指導の下で多くの音楽に携わる若者や、一般に向けては秩父混声合唱団などを通じて、一般の方が音楽に親しむ土壌も育っていきました。

秩父絹をコンセプトとした秩父の町おこしのオペラは、演じる人、すなわち合唱団やソ リストを地域でそろえることができたところが、スタートだったかと思います。いよいよ ミカドを上演しようとした 2001 年頃は、高波先生の弟子たちがちょうど歌手として活躍 を始めたころだったのです。またオペラ「ミカド」はギルバートの荒唐無稽と思える劇の 中にある人間の真実や、サリバンの描く美しい旋律など、オペラを全く知らない秩父の人々を魅了する力のあるオペラでした。様々な条件が重なって 人口6 万~7 万という秩父の小都市でも市民オペラ の開催ができた、それは画期的なことだといえるかと思います!

ちちぶオペラの始まり――それは、オペラの知識のない秩父人が、秩父盆地にたくさん ある祭りのひとつをやるようなノリで始めたこと。そして、祭りが人と人とを繋いでいくように、オペラも人と人を繋いでいき、時間を越えて続いています。ミカドから発展しな がら、またミカドに戻ったりしながら。

ちちぶオペラ 新井眞理子