ちちぶオペラ物語

“ちちぶオペラ”の始まりは「ミカド」Town Of Chichibu

元号が平成に代わる 1990 年頃のこと、「ミカド」というイギリス発祥のオペレッタは 秩父に関係があるのではないか?――と、当時のトレンドであった故永六輔さんがラジ オで投げかけたのです。それを偶然に聞きつけた秩父の好事家たちは、直ちに「秩父でミカドを上演する会」を作りました。そして運動すること 10 年余..ついに 2001 年、当時 秩父市長であった故内田全一さんの決断により市制 50 周年記念として、オペラ「ミカド」 (秩父版)が上演されたのです。

その昔、秩父は絹の町でした。“秩父絹”は秩父の山から八王子を通って横浜の港に運ば れ、遠く英国や欧州に輸出されました。イギリスのオペレッタ「ミカド」は東洋の街ティ ティプで展開される風刺劇です。ティティプという名称は、秩父絹がイギリスに届いたと きのタグに、TITIBU と書かれていたのを劇作者ギルバートがヒントにして、townn of titipu が生まれたのではないか?と「秩父でミカドを上演する会」の故塚越康一会長は考 えました。実際に塚越さんたちはイギリスまで足を運んで、それらしき巷説を調べてきた のです。

もう一人のキーマンは秩父高校で音楽の教鞭を取っていた故高波征夫先生でした。顧 問であった音楽部のレベルはとても高く、ある時期は NHK の合唱コンクールにおいて、 3 年連続で金賞を取るような勢いでした。音楽部所属の大勢の生徒たちは声楽家を志すな ど、髙波先生の献身的な指導の下で多くの音楽に携わる若者や、一般に向けては秩父混声 合唱団などを通じて、アマチュアの音楽に親しむ土壌も育っていきました。

秩父絹をコンセプトとした秩父の町おこしのオペラは、演じる人、すなわち合唱団やソ リストを地域でそろえることができたところが、スタートだったかと思います。いよいよ ミカドを上演しようとした 2001 年頃は、高波先生の弟子たちがちょうど歌手として活躍 を始めたころだったのです。またオペラ「ミカド」はギルバートの荒唐無稽と思える劇の 中にある人間の真実や、サリバンの描く美しい旋律など、オペラを全く知らない秩父の衆 を魅了する力のあるオペラでした。様々な条件が重なって 6 万~7 万の都市で市民オペラ の開催ができた、それは画期的なことだといえるかと思います!

ちちぶオペラの始まり――それは、オペラの知識のない秩父人が、秩父盆地にたくさん ある祭りのひとつをやるようなノリで始めたこと。そして、祭りが人と人とを繋いでいく ように、オペラも人と人を繋いでいき、時間を越えて続いています。ミカドから発展しな がら、またミカドに戻ったりしながら。

ちちぶオペラ 新井眞理子